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当初の書字方向は上から下の縦書きで、文字はある程度単純化された線画であり、まだ楔形になっていない。紀元前2600年頃から、書字方向が縦書きから横書き(左から右)に変わり、その結果、すべての文字が左に90度回転した。その後、筆画が直線化し、最終的には楔形の組み合わせで文字を表すようになる(#図4を参照)。 1: 紀元前3000年頃。2: 紀元前2800年頃。左に90度回転。3: 紀元前2600年頃の碑文。筆画の単純化。4: 粘土板。楔形の特徴が現れる。5: 紀元前第3千年紀後半。6: 紀元前第2千年紀前半。7: 紀元前第1千年紀前 ウルク文字は、事物そのものを表す表語文字であるが、紀元前2800年頃から、文字を音節を表すものとしても使うようになる。たとえば、「牛」を表す文字を [gu] の音節を表すのに使う。ところが、「糸」を表す文字でも [gu] を表せる。同じ音の語は複数あるから、ある音節を表せる文字も複数ある。これを同音異字性(英: homophony。ホモフォニーとも)と呼ぶ。また、「口」を表す語は [ka] なので、「口」を表す文字は [ka] の音節を表す。ところが、この文字は「叫ぶ」[gu]、「歯」[zu]、「話す」[du] などの語も表すから、それらの音節を表すのにも使う。これを多音性(英: polyphony。ポリフォニーとも)と呼ぶ。同音異字性や多音性は、シュメールの楔形文字を借用した他の楔形文字にも引き継がれる。 シュメール語の楔形文字は、アッカド語(バビロニア語やアッシリア語を含む)の表記に借用された。しかしシュメール語が膠着語であったのに対し、アッカド語は屈折語のセム系言語であった。セム系言語では語根を3子音(ときに4子音)で表すから、ひとつの語を音声表記するのには複数の文字が必要になる。表記を短縮するためにシュメール語の表語文字を併用することもあった。バビロニア人やアッシリア人の楔形文字は、さらにヒッタイト語、フルリ語(ミタンニ語)、ウラルトゥ語(いずれもインドヨーロッパ語族の言語)などの言語の表記に借用された。 シリアのウガリット(ラス・シャムラ)で発見されたウガリト文字は、紀元前14世紀頃の文字体系である。シュメール起源の楔形文字では文字の数が600あまりに達したのに対し、ウガリト文字は字母がわずか30個のアブジャド(子音文字)になっている。字母の一覧を記した資料では、フェニキア文字やヘブライ文字などの伝統的な順序との一致が見られることから、文字体系の組織は他のアブジャドの影響を受けたと考えられている。 また、古代ペルシア楔形文字は、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が作らせた楔形文字で、36個の開音節文字(子音-母音の組み合わせを表す文字。ただしうち3個は母音のみの文字)を含む。楔形文字の中では最初に解読された文字体系である。これは紀元前4世紀には使われなくなった。 今日では、楔形文字を表記に使う言語はない。現在までに知られているもっとも新しい楔形文字の資料は、紀元後1世紀のシュメール語表語文字によるものである。 エジプトヒエログリフのうち、発見されている最古の文字資料は紀元前3100年から3000年ころの先王朝時代末期のものである。エジプトヒエログリフでは、古拙期の文字資料というものがほとんど発見されていない。あたかも、整備された文字体系が突然出現したかのようである。研究者の多くは、数世紀先行するメソボタミアの#楔形文字の影響があると考えるが、両者には字母などに明らかな共通点が見られないため、エジプトヒエログリフが借用したのは「文字という着想」(#借用と発展の節を参照)だけで、文字体系の組織は独自に発達したものだと考えている。 初期にはさまざまな媒体に書かれたが、神官書体(後述)が発達すると、もっぱら記念碑や宗教関係の碑文にのみ使われるようになった。ヒエログリフ(英: hieroglyph。聖刻文字とも)という呼び名は、古代ギリシア語のタ・ヒエログリュピカ(神聖な文字)に由来する。文字の多くは表語文字だが、一部の文字を表音文字にも転用しており、表語文字では表しにくい概念や形態素を表記しやすくなっている。 表語文字は時代によって字形が変わったり、新たな事物を表す文字が追加されたりしたので、現在までに同定されているものは6000字以上にのぼるが、各時代に実用された数は700から1000程度である。表音文字は子音のみを表記するので、アブジャドであると言える。一子音の文字が24程度、二子音の文字が100ちかく、三子音の文字が40あまりある。一子音文字はもっぱら表音にのみ使うが、そのほかの表音文字は表語文字として使うこともあるため、複数子音の文字に一子音文字を付加して表音文字として使っていることを明確にすることがある(末尾の子音だけを付加することが多いが、複数の子音を付加することもある)。この手法を音声補充と呼ぶ。日本語の送り仮名や漢字の形声にいくらか似た手法だが、送り仮名の場合とはちがい、品詞に関係なく音声補充できるし、形声とはちがい、表音文字にも音声補充をする(#図5(a) 参照)。 さらに、語に付加して意味範疇を表す限定符がある。漢字の偏旁に似た働きをするが、独立した文字である。エジプト語はセム系言語と近縁のハム語族に属するため、近縁の概念を表す語は同じ3子音(ときに4子音)からなる語根を共有する。表語文字や表音文字と限定符とを組み合わせて同語根の語を区別し、意味を明確にすることができる。器物の材質のような詳細な意味まで限定符で区別することさえある(#図5(b) 参照)。 書字方向は比較的自由で、初期には主に縦書き(上から下)、後には主に横書きとなり、ブストロフェドンが行われることも多い。ただし、行内の配列順は審美上の観点から方向を変えることがある。また、王や神などを表す文字はしばしば前のほうに置く。このような現象を字母転移という。 文字はときに、極めて写実的に描かれる(#図6)。ただし、現代の透視図法によるような写実性ではない。たとえば「人」を表す文字では、頭部全体や脚部は横から、眼は正面から描くというように、様々な角度から見た対象の特徴を平面上になるべく忠実に描写しようとする。文字は彩色されることもあるが、色は意味に関係しない。 ヨーロッパでは16世紀から、エジプトヒエログリフの解読の試みが活発になったが、文中の人名などに基づいていつくかの表音文字の音価を決定できたにとどまった。このため、エジプトヒエログリフの大半は象徴的な概念を表現した紋様であり、完全な文字体系ではないとの誤解が生まれた。ヒエログリフが表語文字とともに表音文字としての機能をもち、独自の合理性をもつ文字体系であるということを最初に証明したのは、19世紀のシャンポリオンである[16]。 神官書体(ヒエラティックとも)は、ヒエログリフを簡略化して筆記用にしたものだが、その原型となる文字資料はヒエログリフと同じくらい古い。まとまった文章が表れるのは第4王朝時代頃からである。神官書体はおもに行政文書や商業文書に用いられた。パピルスや、石片や陶片(オストラカ)に、筆とインクを使って書かれた。石に彫られることはまれだった。 文字体系の組織はヒエログリフと一致し、神官書体で書いたものをヒエログリフに翻字することもできる。ヒエログリフの筆記体であると言える。はじめは縦書き(上から下)だったが、後に横書き(おもに右から左)に変化する。しかし、文字の向きが変わることはなかった。 その後簡略化がいっそう進み、紀元前第1千年紀前半に、神官書体から民衆書体(デモティックとも)が分化した。民衆書体では続け書きや略体が多用され、ヒエログリフとの間で文字ごとの対応づけをすることはもはや不可能である。紀元前600年ころから、宗教文書以外では完全に神官書体にとって代わった。民衆書体は日常的な文書にも用いられた。神官書体と民衆書体の名は、古代ギリシア語のヒエラティカ(神官の)とデモティカ(民衆の)に由来する。 民衆書体の書字方向は横書き(右から左)である。やはりパピルスやオストラカにインクで書かれたが、プトレマイオス朝時代には、ギリシアから入った葦のペンで書くことが多くなった。このころから、記念碑などの碑文にも使われるようになる。1799年に発見されたロゼッタ・ストーンは、ヒエログリフ、民衆書体、ギリシア文字のギリシア語の 3 種の文字体系で記されている。 今日では、エジプトヒエログリフやその神官書体、民衆書体を表記に使う言語はない。現在までに知られているもっとも新しい資料は、紀元後5世紀の民衆書体によるものである。この後、エジプト語やそれから派生した言語を表記する文字体系はコプト文字だけとなった。 原シナイ文字は、シナイ地方の神殿遺跡から発見されたのでこの名がある。少なくとも23の字母を持つ。解読はまだ十分に進んでいないが、字母の半数は、その字形から見て、エジプトヒエログリフからの借用である。つまり、エジプトヒエログリフから借用して生まれた表音文字体系である。類型としてはアブジャドである。 字母の多くが表している粗大ごみ が原カナン文字やフェニキア文字の字母の呼称と一致することから、フェニキア文字は原シナイ文字から派生したという説がある。この説が正しいとすれば、エジプトヒエログリフは、今日のほとんどの音素文字体系、つまり今日使われている多くの文字体系の祖にあたることになる(次節も参照)。 メロエ文字は、紀元前2世紀に生まれた。古代ヌビアのクシュ王国で、メロエ語を表記するのに用いられた。23個の字母からなり、大部分がエジブトヒエログリフからの借用であると考えられている。ヒエログリフと筆記体があり、ヒエログリフは縦書き(上から下)、筆記体は横書き(左から右)であった。アブギダに似て子音字母に特定の母音が伴っているが、それ以外の母音は独立した字母を書くことで表す。また、一部の子音-母音結合は独自の文字で表記する。 このほか、クレタやヒッタイトで発見されている「ヒエログリフ」と呼ばれる文字体系も、エジプトヒエログリフの影響を受けていると考える研究者もいる。 原シナイ文字から不用品回収 した文字体系および ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字も参照 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 契丹文字、古壮字、女真文字、西夏文字、チュノムは漢字の影響を受けて生まれたと考えられているが、現在は使われていない。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 新たな文字体系が成立するときに、複数の文字体系を取り入れることはしばしばある。また、別の系統に分かれた同時代の文字体系同士が、影響を与えあって発展していくこともある。本節では、複数の文字体系から影響を受けたことが特にはっきりしているものを取り上げて解説する。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 中国の少数民族であるナシ族の間に伝わる文字体系で、経典などの表記に用いられる。抽象化の進んだ表語文字に属する文字と、絵画的でピクトグラムから象形文字の段階に入ったばかりと思われる文字の両方を持つが、その起源についてはまだ十分な研究がない[17]。 イースター島(ラパヌイ島)に伝わる石板に見られる、整体師 系の可能性がある記号の体系である。一部の研究者は、決まり文句を記すためだけに使用されたピクトグラムの一種で、文字体系ではないと主張している。1722年のヨーロッパ人との接触以降に、当地の住民がヨーロッパ人の文字使用に触発されてつくり出したとする説が有力である。基本的な字母の数が120個ほどであることから、音素文字である可能性は低い。現在残る文字資料から知られている書字方向は、下から上へ行が進む横書きのブストロフェドンという特異なものである[18]。