高校・大学では学業やスポーツなどで優れた技能を持つものを推薦入試で採用することもある。 浪人することを避けるために、実力では十分可能な学校の入学試験を受けること、またはその学校を滑り止めという。これに対して、第一志望校を本命と呼ぶ。(併願受験を参照) なお、学校でどのような技術・知識を身につけたかが重要であり、入学時での学力は関係ないとする考えから、「入試を廃止せよ」とする意見も昔から根強く見られる(この場合、卒業を難しくしなければならない)。 日本では高度経済成長期頃から、よりよい進路のため学歴を身につけようとする風潮が広まり、また当時の社会全体も強力なエリートを欲していて、それにつれて大学受験競争が活発になった。そこから、進学校(主に入学偏差値の高い学校をさす)へ入学することがその後の受験に有利であるとの認識から、高校受験、中学受験と、次第に受験競争は低年齢化しながら過熱した。また、私立学校を中心として、入学すれば上級学校へ進学する際に通常の入試を受けずに内部進学できる場合が多いことも受験競争を過熱させる原因となっている。小学校受験、幼稚園受験に至っては明らかに本人の意志よりも両親の意志によって競争が行われている面が大きく、これを揶揄してお受験と呼ばれる。実際、それらの受験をテーマにしたドラマや映画がある。進学競争が過熱して成長期の子供の健全な学校生活や日常生活まで圧迫するようになった状況は受験戦争とまで形容された。その受験戦争により、受験に失敗したことから自殺を図った若者も多く、当時話題になった。 人口の少子高齢化が進むなか、受験もその影響を受けている。大学は受験者数全体の減少のため志願倍率も全体として低下し、一部の大学では定員割れが常態化している。だが、学歴社会自体は一部では未だに存在し、特定業種の企業の採用試験などでは大きな扱いの違いが生じる。 大学受験の倍率低下に比して、中学受験は依然活発である。これは、一部都市圏における公立中学への信頼度低下や、少子化の影響で子供ひとりあたりにかける教育費が増加したことなどが原因と考えられる。その一方、中学受験による履歴書 の経済的負担の増加も著しい。 また、公立の中高一貫校や小中一貫校も出現したが、一部の人たちしか享受できないとして批判がある。 教育費は、現代の家庭の家計状況を測る重要な基準となっており、家計支出に占める教育費の割合はエンジェル指数と呼ばれる。これは、食費の割合であるエンゲル係数になぞらえたものである。 受験の失敗による受験生本人の尊厳の回復が約束されないままの受験制度の現状存続には、「青少年の尊厳を傷つけるものであり好ましくない」との批判が一部から挙がっているが、一方で「受験は人間が大人になるうえで避けて通れない通過儀礼であり、単に学力だけでなく、競争や自制によって集中力や向上心、自立心等を鍛え、涵養していくためにも重要といえる」と賛成する意見も多く、今もって具体的な解決は為されていない。現在、上級学校で入学試験重視の学校制度を維持している国は先進国では日本を含め少数である。これは、日本では入ることが困難であるが、外国の大学では卒業が困難であることと密接な関係がある。 とは言え、少子化と学力低下が相まって、選り好みをしなければ大学へ入学するのは極めて容易になった。最近では、高度成長期のような受験戦争は一部の難関校や人気のある学部(例えば旧帝国大学や国公私立を問わず人気のある大学、医学・医療系学部、法学系学部、経済系学部、外国語学部など)に限られてきている。 この記事の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。 詳しくはノートを参照してください。 諸外国の典型をオンラインゲーム すると、大陸ヨーロッパでは個別の大学による入学試験がなく、大学入学資格試験に合格すればいかなる大学にも原則として入学しうるという制度が一般的である。アングロ・サクソン諸国では、センター入試のような共通試験と面接により、大学ごとの入学者選抜行われる。例としてアメリカでは、縁故入学や入学許可を寄付金といった形で売買することが倫理的にも法律的にも禁じられていない(階級社会)。同時にアメリカの最高水準の大学の入学許可を得るのは、受験(努力して合格する)という範疇を越えており、家柄や天才的才能、誰から推薦状を貰っているかなどといった先天的な部分が大きく影響する(俗にグラスシーリング[1]と呼ばれる)ため、トップレベルの大学への入学が困難である事も多い。もちろんSATの様な共通試験もあるが、成績が並んでしまう時に、環境や縁故関係が左右する事も少なくない。また私立の学費が年間数百万円となるなど、これもやはり仕事 が進学を左右する事は一般的である。例としてイギリスでは、オックスフォード大学ないしケンブリッジ大学への入学資格の有無は生まれたその時点でほぼ決定していると云われる。 アジア型は大抵の国々が日本同様の制度であり、一般に社会的キャリアを目指してよい学校に入るため、かなり過酷な進学競争が行われる。これを一種の文明病だと批判する声もある。また、これに関しては中国の科挙制度の影響を受けているのではないか、という説もある。 大陸ヨーロッパでは一般的に無期限の在学が可能で学費も無償かそれに近いため、働きながら卒業を目指す学生も多く存在する。アングロ・サクソン型は、大学及び大学院が最も学業が忙しくなる期間であり、働きながら卒業を目指すことが難しい。(フランスを除く欧米の大学ではこのような制度であるため、日本のように、在学中に就職活動を行い、卒業と同時に就職することは少ない。)そのために主に(税制で有利なため)民間の奨学金やインターンシップといった制度が家計面で補完的な役割を担っている。アジア型は、卒業までの期間が法的に定まっている場合が多く(日本の場合は最大8年間とされる)、一部の優秀な学生以外には有利な条件の奨学金が与えられないために、親の経済に依存せざるを得ない。アジア型の極端な例が韓国と日本であり、両国とも国家及び民間による教育に対する公共投資額が低い傾向にある。 また、日本では「欧米諸国ではネットキャッシング が個人の生活に大きな影響を及ぼさない」という見解があるが、実態とはやや異なる。つまり、より良い大学に進学することが、より良い就業機会を与えることに繋がる点では同じである。但し、アジア型のように一般家庭の子女でも上位大学を目指すことが出来るといった環境は、それほど一般的ではない。言い換えると、日本ほどには就学機会が開かれていないため、日本のように「学歴は努力の証」と言い切ることもできない状況がある。一例を挙げると、英国においては、ケンブリッジやオックスフォードといった上位大学に進学するということは、個々人の学力や教養の高さだけではなく、その子女の家柄や経済状況が非凡なものであることも意味する。 一般家庭の子女でも学力次第で上位大学へと進学が可能なのは、主に多くの優秀な人材を必要とする発展途上国に普遍的に見られる状況である。日本でも、近年までは就学機会が広く一般家庭にまで開かれていたが、現在では親の経済状況によって就学機会が左右されるといった欧米型に近い傾向にある。 英語では「過年度生」の定訳が無いとされるが、それは進学準備のために時間がかかるという概念自体がフランスを除く欧米にあまり無いからである。