客室乗務員(きゃくしつじょうむいん、フライトアテンダント、英語:flight attendant)は、旅客機の運行中に機内客室において乗客への接客サービスや緊急時の誘導などを行う乗務員である。客船や新幹線などにも客室乗務員はいるが、この項では旅客機の客室乗務員を紹介する。 1930年にアメリカ合衆国のボーイング・エア・トランスポート社(現在のユナイテッド航空)が、運行中の乗客へのサービスおよび身体的なトラブルに対応することを目的に、元看護婦を 客室乗務員として乗務させたのが始まりである。また、当時まだ「危険な乗り物」というイメージがついていた飛行機を、女性の乗務員を搭乗させることで「女性も乗れるような安全な乗り物である」と乗客にアピールするという意味もあったといわれている。なお、それまでは海外留学 の運航乗務員がANAツアー・スカイホリデー 時の対応を行っていた。 なお日本においても、1931年には東京航空輸送が東京―下田―清水間の定期旅客路線にスチュワーデスを採用し、その後1939年に開業した大日本航空も採用した。 1930年代中盤以降のダグラスDC-2やDC-3、ボーイング247などの全金属製旅客機の導入がもたらした旅客機の大型化に伴い、日本やアメリカだけでなくヨーロッパの航空会社も男性や女性の客室乗務員を次々と乗務させることになる。 戦前日本のエアガールについて、鈴木五郎「大空の花束『エアガール』太平洋戦域フライト日誌」(潮書房『丸』1996年4月号 No.600 p191〜p199)を参考する。 1950年代の日本航空の客室乗務員1939年から1945年までの長きに渡り行われた第二次世界大戦が終結したことに伴い、戦勝国では戦後間もなく航空会社が営業を再開したほか、1940年代後半には世界各国で航空会社が次々と開業し、アメリカやヨーロッパの主要国において旅客機での旅が一般層にも浸透することになる。その後1950年代にかけては、ダグラスDC-4BやDC-6、ロッキード・コンステレーションなどの大西洋無着陸横断が可能な大阪 ビジネスホテル 旅客機の就航により客室乗務員の採用数が増加し、それとともに「花形職種」として持て囃されるようになった。 当時の日本では(大戦後の日本においてはナショナル・フラッグ・キャリアの日本航空が1951年に、全日空の前身となる日本ヘリコプターが1952年に開業した)旅客機は運賃が高額だった上、1945年8月の第二次世界大戦(大東亜戦争)の敗戦以降、連合国の占領下で長期に渡り海外渡航が自由化されていなかったために、乗客が渡航許可を受けた政府関係者や企業の業務出張者、または外国人に限られていた。 なお、この頃から日本においては女性の客室乗務員が大勢を占め、男性の客室乗務員は少数派であった。また、当時の結婚式 招待状 は「エアホステス」または「エアガール」と呼ばれていたが、後に「エアホステス」という名称は、水商売のホステスに紛らわしいと改名された。 英国海外航空のボーイング707その後1960年代に入り、ボーイング707やダグラスDC-8、コンベア880などの大型ジェット旅客機の就航が各国で相次いだことで、座席供給数が激増し運賃が下がると共に、それまでは客船がシェアの大部分を握っていたバリ島 洋横断や大西洋横断ルートにおいて完全に旅客機がその主導権を握ることになり、アメリカやヨーロッパの多くの先進国において旅客機での旅は完全に一般層に定着した[1]。 また日本でも、それまでは海外渡航は業務や留学目的のものに限られていたものの、1964年4月1日に高度経済成長に伴う外貨収入の増加を受けて海外渡航が完全に自由化され、「ジャルパック」などの海外への団体観光ツアーが次々と発売されるようになった。しかし海外旅行はまだまだ一般層にとって高嶺の花であったこともあり、日本において客室乗務員は「ステータス」の高い花形職業とされていた。 日本航空のボーイング747-300ボーイング747やマクドネル・ダグラスDC-10型機、エアバスA300型機などの大型ジェット機の相次ぐ導入や 、アメリカにおける航空規制緩和政策(ディレギュレーション)の導入。これらの要因がもたらした航空会社間の競争の激化などにより航空運賃が下がり、飛行機での旅が大衆化してきた1970年代-1980年代以降は、アメリカやイギリスなどの欧米の先進諸国ではその「ステータス」は下がった。 しかし、海外旅行の大衆化が欧米の先進諸国に比べて遅れていた日本では、『アテンションプリーズ』(オリジナル版:1970年-1971年)、『スチュワーデス物語』(1983年-1984年)など人気テレビドラマの題材にもなり、1980年代になってもまだまだ女性の「なりたい職業」の上位として憧れの存在であった。 JALエクスプレスのボーイング737だが格安航空券 国内 でも航空業界の規制緩和が行われ航空会社間の競争が激化した1990年代以降、契約制客室乗務員の導入や新規航空会社の参入により以前に比べ待遇が低下していることや海外旅行の大衆化が進んだこと、女性の価値観の多様化などにより、日本航空や全日空が新卒女子大生の人気就職先の上位に顔を出しているなど、近年も女性の人気就職先の一つではあるものの、以前よりその人気は下がっている。 過去に日本において女性客室乗務員が高いステータスを付加されていたのは、外国語の素養がある人は海外と縁のある一部の階層に限られていたことや、航空運賃が高かったために外国に観光などで渡航することが少なかったこと、日本航空などの一部の日本の航空会社においては入社時に家柄なども考慮されたこと、結婚の際に良い条件の相手にめぐり合う機会が多いと考えられてきたからである。 しかしながら、1980年代のバブル景気前後に海外旅行の大衆化が進み、一般層においても海外への渡航が特別なものではなくなってきた上に、一般階層の出身者でも気軽に外国語を習得できる環境が整ったこと。大型機の大量導入に伴い採用人数が増大したこと、また、女性側の意識変革として職業に従事することが結婚への過程ではなく、仕事そのものに生きがいを求めるように変わってきた現在、「客室乗務員」が他の職種と比べて特にステータスが高いものではないというように変革した。若くて外見がよいことが必須とされた採用条件も、現在は中途採用では30歳代、経験者の再雇用では40歳代での採用も行われるといったように変わって来ている[2]。 日本においては、船舶の女性司厨員に由来するスチュワーデス(男性はスチュワード)の呼称が広く用いられている。日本ではTVドラマ等の影響で「キャビンアテンダント」 (Cabin Attendant) 、またそれを略して「CA」とも呼ばれているが、英語圏では「フライトアテンダント」(Flight Attendant)もしくは「キャビンクルー」(Cabin Crew)と呼ばれるのが一般的で、「Cabin Attendant」という組み合わせは自然ではない。 女性の客室乗務員は、初期には「エアホステス」「エアガール」、最近まで「スチュワーデス」(男性の場合には「スチュワード」「パーサー」など。実は「パーサー」はその便に乗り組む客室乗務員達のリーダーの事である)と呼ばれていたが、1980年代以降、アメリカにおける「ポリティカル・コレクトネス」(この場合は性表現のない単語への言い換え)の浸透により、性別を問わない、"Floor Attendant"(フロアアテンダント)、"Flight Attendant"(フライトアテンダント)という単語に言い換えられた影響で、この和訳である「客室乗務員」(客乗)という言葉が正式とされるようになった。