予備校選びが合格のカギ!

山田義塾

「Fランク大学(Fラン)」(不合格者数が極めて少ない、または皆無なため、偏差値を付けることが不可能な大学・学部)という言葉をつくったことでも有名。「"Fランク"の"F"は"フリーパス"を意味するのではないか」という批判が、Fランクに該当するとされた大学側から殺到したため、現在は「BF(ボーダーフリー)」という言葉に改められ、同社の発行する進路資料で用いている。河合塾の基準によれば偏差値32.5未満がこれに該当する。 2007年12月7日、河合塾福岡校校内で大麻を売買していたとして福岡県警は同塾に通う予備校生や他の専門学校生ら計5人を逮捕、同塾の学生と九州大学の学生の計2人を書類送検した[3]。 この事件に関し、河合塾は「報道内容が事実であれば、教育機関としてはあってはならないことと認識し、改めて塾生の『安全と安心』について最優先課題ととらえ、対策を講じてまいります。」とのコメントを発表した 過年度生(かねんどせい)とは、下級学校を卒業後、1年度以上過ぎてから新入学しようとする志願者のこと。「過年度」とは過去の年度のことを意味する。過年度卒業生、過年度卒業者などともいう。既卒者(きそつしゃ)ともいうが、これは下級学校卒業生のみならず、「既卒者の再入学」などの文脈で、同等学校卒業生をさす場合もある。対義語は「現役生」・「卒業予定者」・「卒業見込者」または「飛び入学者」である。 同様な概念に、小学校就学を標準よりも遅らせる「就学猶予」、学校在学中に年度の変わり目に進級しない「原級留置」がある。 本記事では、過年度生のみならず、原級留置や就学猶予などを経験したために所属可能な最高学年よりも低い学年に所属している生徒(高年齢生徒)についても扱う(こちらで適切な記事名・分割案を募集中です)。 注:本記事で「高年齢」という場合は、その学年に所属できる最低年齢よりも高いという意味である。 過年度生とは、以下の様な理由で、下級学校を卒業後に1年度以上経過して新入学しようとする人の総称である。類型によっては、特有の呼称が広く使われている。 以前に志望校の入学試験で不合格となったため進学せず、これから入学しようとする人 例えば、すべての受験校の入学試験に不合格となったり、志望校以外の入学試験に合格したが志望校に落ちたりしたために進学せず、これから入学しようとする人の場合である。過年度生の最も多いパターンであり、通常は武士の浪人になぞらえて「浪人生(ろうにんせい)」、「浪人(ろうにん)」といわれ、その行為を「浪人する」という。予備校に在籍している場合は「予備校生」といわれ、在籍せずに自宅で学習する場合は「自宅浪人」(宅浪)といわれる場合も多い。浪人した回数は「一浪、二浪、…」と数え、三浪以上の場合は「多浪」という。中学校卒業後、高等学校や高等専門学校などへの進学をする際の浪人のことは「中学浪人」と呼ぶ場合もある(中学校を卒業した上での浪人であるため)が、「高校浪人」と呼ぶ場合もある。高校卒業後、大学への進学をする際の浪人のことは「大学浪人」と呼ぶ場合が多いが、「高校浪人」と呼ぶ場合もある。「デザイン会社 」という言葉は、中学浪人という意味にも、大学浪人という意味にも使われ、曖昧である。 以前に進学し、これから入学しようとする人 例えば、志望校に落ちたため滑り止め校に入学したが、その学校では満足できなかったという場合や、在学中に進路を変更したくなった場合(大学ならば学部・学科変更を指す)などで、在学中または卒業後や退学後などに、志望校に新入学しようとする人の場合である。「再受験生」や「再入学者」といわれる。在学中でない場合は「浪人生」ともいわれ、在学中の場合は「仮面浪人」や「潜在浪人」ともいわれる。ただし、高校以下では、同等学校卒業後の再入学ができない場合もある。 以前に入学試験での不合格以外の理由で進学せず、これから入学しようとする人 例えば、病気や怪我や心理的な不調などがあったために、卒業後にすぐ進学せずに療養していた人の場合や、上級学校で学ぶ意欲がなかったり、学ぶ意欲はあったが学費が不足していたりしたために、卒業後にすぐ進学しなかった人の場合である(就職した場合は4になる)。狭義での「過年度生」といえば、通常この場合を指す。 卒業後に進学せず、就職経験があり、これから入学しようとする人 おもに「社会人入学者」といわれる。なお、一般受験生と別枠の場合もあるため、募集要項の過年度生の部分に当てはまらない場合もある。 例えば、高校の募集要項に「○○年3月に中学校を卒業する見込みの者」としか書かれていない場合は現役生にしか受験資格がないが、「中学校を卒業した者」とも書かれていれば過年度生にも、卒業時期が日本と違う学校を卒業した帰国生徒にも受験資格がある。ただし、「○○年3月に中学校を卒業する見込みの者」と書かれていた場合でも、学校によっては(非公式な)年齢の上限がある場合もあるので、現役生であっても高年齢だと受験できない場合もある。 また、公式文書では卒業生の進路の表記で、上級学校進学者に対して「現役生」と「過年度生」の二つの用語で分類する場合が多いが、一般の受験関連書誌では、過年度生を「浪人」と書き換えている場合がある。 「浪人生」という用語は、明治中期ごろから使われ始めた。 昔は、旧制高等学校卒業者のうち希望の大学学部学科に進学できなかった過年度生を、旧制高校の制帽に白い線が入っていたことにちなんで「白線浪人」といっていた。第二次世界大戦後に学制改革が実施された時期には白線浪人が多数発生し問題となった。 日本の学校制度では、飛び看護師 求人 者などの例外を除き、全ての過年度生はストレートの生徒(就学猶予、原級留置、過年度進学などを経験しなかった生徒)より、学齢で1歳以上高年齢であるが、高年齢生徒には留年・以前の入学時の浪人の経験者なども存在するため、高年齢の生徒の全てが過年度生であるとは限らない。例えば、下級学校の卒業以前に原級留置(留年)や就学猶予を経験していたり、下級学校の入学時点で過年度生であったり、外国の学校に在学していたりしたために他の生徒より年齢が高い状態で、卒業後すぐに(現役で)入学しようとする場合は「高年齢の現役生」に分類され、過年度生には含まれない。ただし、高年齢の現役生は実質的に多くの面で過年度生と類似しているため、とりあえずこの記事でも一緒に扱うことにした。 幼稚園、小学校、中学校など、中学校以下の学校では、下の学年を履修していなくても、所属できる最高学年(いわゆる年齢相当学年)に編入学できる。こういった、高年齢児童生徒の飛び級ができる事が、学齢期(15歳以下)の学校に共通する特徴である。しかし、高等学校、高等専門学校、大学など、高校以上の学校では、年齢が高くても、以前に同等学校などで履修したことがない限り、1年生から履修しなければならない。 学校教育法などでは、諸学校の入学年齢/卒業年齢には上限は設けていない(ただし、幼稚園は法的上限があるとも解釈できる)。日本では中等教育までは、就学猶予・原級留置・過年度進学などが数少ないため、外見上上限があるように見えるだけである。しかしながら、ほとんどの学齢児童が6歳から就学し、15歳で中学校を卒業するということが常識の様になっており、学齢を過ぎた人の入学・在学は通常の小中学校や関係機関などの現場ではほとんど想定されていない。また、4月1日時点で16歳以上である人の高校入学も高校や関係機関や受験産業などの現場ではあまり想定されておらず、情報も少ない。また、4月1日時点で18歳以上である人の全日制高校在学も同様にあまり想定されていない。 過年度生に代表される高年齢の家庭教師 は、必ずしも一般の生徒と同様な学校生活を過ごせるわけではない。特に甲子園や小中高生体育大会などでは、年齢が上がると一般的に体格が向上して有利になることから、過年度生などの高年齢生徒の参加を規制している場合が多い。実際に、帰国生徒で高年齢のため甲子園出場を取り消された野球選手も複数いる(明徳義塾の森岡エーデル次郎など、特例で許可された19歳の選手も複数いる)。当初は年齢の上限はなかったが、1920年の第6回大会(当時は中学野球)で、法政大学在学中の小方二十世選手が豊国学園の選手として登場したため、1922年からは年齢の上限が設けられるようになった。なお一部の体育大会では、中国などからの帰国生徒の年齢上限を、「○○年以降に入学した者」との条件を付けた上で緩和している場合がある。 数学オリンピックもスポーツと同様に20歳未満までとの制限があり、国際化学オリンピックの前哨戦である全国高校化学グランプリも同様に20歳未満までとの制限がある。 卒業後の就職においても、いわゆる一流企業の新卒者募集や、一部の公務員試験では、年齢が高いほど不利になる場合がある(明文化された受験資格から外れたり、書類選考で落とされたりする)。 漫画家。高校浪人を扱った漫画『チューロウ』(1995)の作者。中学校卒業後に浪人をして予備校寮に入り、大分県立佐伯豊南高等学校に進学した実体験から『チューロウ』を描いた。 八木下浩一 (1941年9月18日-)脳性麻痺のため9歳まで寝たきりの生活を続け、12歳の時と16歳の時に、地元の小学校に入学するために知能検査などを受けにいったが、言語障害と肢体不自由を理由に断られた。そのあとクリーニング工場に低賃金で就労し、そして養護学校を見学するも、生徒の目に活気がないと感じた。そのあと自分で就学猶予規定などの教育に関する法令を調べ始めた。27歳の時、川口教育委員会に出向いて就学希望を述べると、初めは相談者(浩一)の子供(いない)の入学についての相談だと思い込まれたが、しばらくして相談者本人のことだと分かったので教委側がとても驚いた。教委は小学校入学をかなり渋り、「すでに就学免除願いを出されているが、テレマーケティング は火事で消失した」などと虚偽の報告を行なったりしたが、障害者団体らとともに複数回訪問をするうちに徐々に譲歩を受け、やっと川口市立芝小学校への入学を許可された。しかし、週3回のみの登校で、最初から6年生に入ることが条件だった。そして28歳の時、普通より1ヶ月程度遅れた5月になって小学6年生に入学したのだが、そのうち、古い教科書を渡されるなど、色々な違和感から自分に学籍がないことに気づいた。これを校長に問いただすと「君は聴講生だ」と説明されたので疑問に思った。八木下は、いきなり6年に編入学したので学力が付いていけず、また学籍がないため通知表も出ず、再度交渉したのち、29歳でやっと3年生に編入学することができた。そのあとは6年まで進級し、その学年末に長期欠席のため原級留置を求めて、3度目の6年次の履修をした。八木下は合計6年間を小学校に在学したことになる。考えがあって中学校には進学しなかった。(参考文献 『街に生きる』八木下浩一著、現代書館刊、入手困難)